rainbow chaserという言葉がある。
直訳すると「虹を追う者」、転じて、空想家や空論家という意味。
空想というと聞こえはいいが、虹を掴まえる≒不可能なことを追いかける、ということから、比較的マイナスの意味が強い。愚か者というニュアンスを含む言葉である。
だが、虹を掴もうとする者は、本当に愚か者なのか?
東山奈央1stLIVE “Rainbow”は、聖地・日本武道館で開催となった。
声優による音楽活動が盛んになって久しく、武道館でのワンマンライブを実現させた声優は既に数多。それでも、未だ武道館というのは、ライブ活動をする者にとって、記念碑的な意味を持つ。ここを目標と掲げる者も、絶えることは無い。聖地とも呼ばれる所以だ。
ただ、1stライブとしての開催となると、話は別。更に、メジャーデビューして1年と2日での開催という早さが、記録的なものであることは、疑いようが無い。
しかしながら、LIVE全てを通して言えるのは、たった1年で辿り着いた、ではなく、デビュー以来8年を掛けて、ようやく辿り着いた夢舞台だった。東山奈央という「人生のお祭り」は、静かに幕を開けた。
暗転と同時に、センターステージに一筋の細い光が落ちる。その中にあるのは、1本のマイク。程なくして、メインステージ中央の扉から、ゆっくりと歩く一人の姿。マイクを手に取り、小さく、けれども確かな声で、歌い出す。武道館に向けて制作された、彼女の1stアルバム「Rainbow」のリード曲『君と僕のシンフォニー』。このMV冒頭と同じ演出だ。
今回の武道館公演、目立ったのは緻密な演出だ。開催発表から半年、準備期間からすれば、それよりもはるかに長いだろう、時間を目一杯に使って、組み上げられた寸分の狂いも無い緻密な演出が、歌声に花を添える。
とりわけ、舞台装置には支えるスタッフ陣の熱量を感じざるを得ない。武道館に入った時に気付いたのは、通常のライブでは存在するサイドスクリーンが存在しないこと。メインステージ上段に、武道館の半径に近いほどの巨大な横長スクリーンが鎮座していたが、この違和感はライブ開始とともにゆっくり解かれる。
実は、この巨大な1枚に見えたスクリーンは最大4分割までされる可動式のスクリーンであり、曲ごとの演出に極めて大きな役割を担っていた『Bright Heart』では、ダンスの動きに合わせてスクリーンにエフェクトが発生するアートダンスのような演出を見せたり、一方『StarLight』から連なるダンス曲のセクションでは、スクリーンを4分割し、激しい光が飛び交う楽曲の世界を可視化する映像と彼女のダンスを正面から抜いた映像とを交互に組み合わせることで、躍動感を演出したりと、目から飛び込んでくる情報でも楽しませてくれる、最大限の演出がなされていた。
そして何より、そのステージを掌握する東山奈央というアーティスト。
デビューまでの7年間、キャラクターソングを通じて彼女の表現は広く評価を受けていた。彼女の声優としての魅力を挙げるなら、まず出てくるのは、表現の多彩さであろう。
8年前、立て続けに2人の高校生役を演じてデビューした彼女は、地声よりも少しキーの高い少女役を得意としながらも、早い段階から自分よりも年齢の高い円熟した女性を演じるなど、その声と表現の幅で評価を得てきた。更に特筆すべきは、その声の幅が、歌声であっても変わらないことである。故に、演じながら歌うキャラクターソングで高い評価を得ていた。そんな彼女の音楽活動である。当然、キャラクターという制約を外した分、更に表現が多彩になる。
また、キャラクターという枷を外した彼女が見せてくれたのは、圧巻のダンスパフォーマンスだった。声優になる以前から10年間にわたり学んでいたというダンス。かつてキャラクターソングとしてのライブや現在も活動を続ける声優ユニットでも、幾度もダンスを披露してきた彼女だったが、いかにキャラクターとして踊っていたかが対比して見えてくる。武道館に立った彼女は、6人のダンサーとの息のあったフォーメーションダンスに始まり、ヒップホップの要素も取り入れ、今まで見せたことの無かったような、難度の高いダンスを披露する。
とりわけ驚いたのは、セットリストに「ダンスパート」を作ったことだ。セットリストを見返すと分かる通り、衣装替え後の『StarLight』から『オトメイロ』まで、彼女の楽曲の中でも比較的電子音に彩られた4曲が連なっている。MCを挟みつつも、4曲踊りっぱなしである。幾度も彼女のステージを観てきたが、どのライブでも無かった要素だ。シンプルに、圧倒された。
また、今回のライブでは観客が持つグッズにも、趣向が凝らされていた。とりわけ、ペンライト。キングブレードで業界を牽引する㈱ルイファン・ジャパンが開発した、RAVEと呼ばれる無線制御ペンライトを採用した今回は、曲に合わせ、というよりも曲の展開に合わせ、点滅や色の移り変わりなどで、巧みに楽曲世界を演出する一翼を担っていた。ちなみに、物販では最初からペンライトは1限(1人1本限定の個数制限)で販売されていたため、客席の所持率は目算で60%以上。十分に照明効果を発揮していた。
そんな無線制御ペンライトが敢えて一斉に消灯した時間があった。バラード曲によるアコースティックパートである。ここでは客席も座り、彼女のより深い歌声の表現をゆっくりと堪能できる時間だった。
彼女のこれまでの音楽活動を振り返るとき、欠かすことの出来ない作品がある。昨年放送されたTVアニメ「月がきれい」である。中学生男女の透明度の高い純愛を描いた作品で、彼女は主人公たちから一歩離れた位置で作品を見守る教師という役を演じた。同時に、作品を引き立てる全ての楽曲を個人名義で歌った。MCでも触れられていたように、自身が演じるキャラクターとは、別の視点から楽曲は表現される。これまでのキャラクターソングには無かった表現の追求が、この作品から東山奈央というアーティストに課された命題だった。そして、この追求された表現がそのまま、今回のアコースティックパートを彩るものとなった。村下孝蔵による名曲であり、作品のエンディングテーマとしてカバーした『初恋』を含め、心地よい歌声が武道館に響き渡る。
そんなアコースティックパートの最後を飾ったのが、彼女が作詞作曲をした『Rainbow』だった。東山奈央の音楽活動の原点ともいえる、彼女のデビュー作、TVアニメ「神のみぞ知るセカイ」中川かのんとしてのコンサートでは定番だった、バラード曲(当時は『らぶこーる』という楽曲)前、ステージの真ん中で、ピンスポットの下、彼女が少しだけ自分のことを語る大切な時間。それを彷彿とさせるように、ゆっくりと語り出したのは、この曲を作曲することとなった経緯と、一人の人物への感謝であった。
『Rainbow』は、彼女自身が言葉を紡いだ初めての作品であることからも明白な通り、彼女の軌跡を描いた楽曲である。歌詞で明言はされていないが、普段我々に見せることの無い苦しみと、それを抱えた彼女を導く存在、そして彼女が等身大で抗った先に見えた一筋の虹が描かれている。発売時のインタビューで多様な解釈の余地がある曲、と表現された歌詞であるが、この歌詞に呼応するかのように、彼女がピンスポットの下で語ったのは、マネージャーへの想いであった。デビュー以前から支え続けてきたマネージャーへの感謝と決意、彼女がこれまでの活動を振り返る中で、伝えたいと感じた一番の想い。その後に聴いた『Rainbow』は、当然、アルバムで聴いていたものと、世界が違って見えた。
最終盤。『イマココ』『Chain the world』というキラーチューンを歌った彼女が、武道館最後に用意したのは、意外にも『君の笑顔に恋してる』というミドルテンポのラブソングだった。ラブソングでありながら、彼女がMCで語ったのは、ライブで観客へ向けた愛情だった。
“君の笑顔がただ、私は見たくて”
彼女の音楽活動の原動力となる想い、それに対して僕たちは、事前に視聴動画も公開され予習ばっちりな武道館全員一体でのダンスで返す。多幸感とは、そう、このことを言うのだろう。
本編17曲。個人名義の楽曲としてはそのほとんどを歌い切り、圧倒的な輝きを持ってひとまずの幕を下ろした。「人生のお祭り」とMCで表現した通り、東山奈央という人物の25年を全て集めたような時間。
・・・本当にそうだろうか?何かが足りない気がする。万感の思いとともに抱えた一抹の寂しさは、アンコールで、星の光の中に吸い込まれていった。
今思い返せば、上下2面のステージ、3本の階段。ステージそのものが、初めて見たのに、どこか懐かしかった。そうだ、はじめから“そのものだった”。
前述の通り、彼女のデビューは8年前。
TVアニメ「神のみぞ知るセカイ」で、劇中のヒロインとなる、アイドル・中川かのんを演じた。TVアニメ第1期では、オムニバス形式で4人のヒロインの物語が描かれ、彼女はその3人目。主人公の同級生で、人気絶頂の中にある新人アイドル。主人公に“攻略”される中で、過去のトラウマ、アイドルとしての苦悩を克服し、アイドルから“自身の力で光輝ける星(スタア)”になる姿が描かれている。FLAG 7.0(TVアニメ1期・第7話)「Shining Star」、所謂「中川かのん編」の最後にあたるストーリーで、主人公への依存から決別し、アイドルからスタアへ、進化を遂げたステージ「鳴沢臨海ホール」(通称:なるりん)。八角形の客席、天頂部の擬宝珠、2層+アリーナの構造・・・
そう、そのモデルとなったのは、日本武道館である。
デビューから約4年間にわたり、2回の単独ライブを開催するなど、東山奈央の黎明期は中川かのんとともにあったと言っていい。ただ、最後に中川かのんとして歌ったのは2ndコンサートの舞浜アンフィシアター。なるりんまで、届くことが出来なかった。
それから4年後。鳴り止まないアンコールの中、ステージに見えたのは、まばゆい光の中、大きなリボンを頭につけた立ち姿。穏やかなピアノの音色。
この時点で崩れ落ちた。文学的表現ではなく、“文字通りに”膝から崩れ落ちた。
ステージに現れたのは、“中川かのん”だった。4年前より、少しだけ大人びた、でも、変わらない幼さと確固たる光を同時に持つ、懐かしい星だった。
予想や、期待をしていなかった訳ではない。ただ、「神のみぞ知るセカイ」の音楽チームとレーベルからそもそも違うこと、そのレーベルは当日別会場で主催フェスを開催していること、なによりも、彼女の個人名義での楽曲数だけでライブが1本成り立つ計算だったこと、開催発表の段階から微かに抱いた願望は、それだけ数多の理由から、実現不可能だろうと勝手に判断していた。それだけに、不意打ちだった。
中川かのんにとって、はじめて自らが放つ圧倒的な光を見せ付けることとなった『らぶこーる』。そして、観客のボルテージが最高潮に達した『ハッピークレセント』。
代表曲2曲を、武道館に、なるりんに連れてきてくれた。それだけではない、ステージの構造から、衣装、早替えの演出、自動制御によるペンライトの色、そして「なるりん、制圧!」という絶叫。全てを再現するステージだった。8年前、TVの中で広がっていた光景が、そのまま、目の前に広がっている。なるりんとなった武道館は、彼女の人生を集めたお祭りであると同時に、彼女の放つ光を追いかけ続けてきた、僕らへの福音でもあった。
そんなサプライズの余韻を残したまま、オフィシャルクラブ開設、ライブ映像商品発売、新曲リリース決定と初披露など、武道館のその先を示し、1stライブ最後に歌われたのは、1曲目と同じ『君と僕のシンフォニー』。
武道館に、虹がかかった。
最初に書いた問いに戻ろう。
虹を掴もうとする者は、本当に愚か者なのか?
その答えは、言うまでもない。眼前の景色がそう物語っていた。ステージから全方位に、手を振る笑顔。それに応えて、誰からともなく自然と、客席から、物販で発売されたタオルを掲げる。横一面に7色の帯が広がるデザイン。いつしか、横の観客と繋がり、武道館の半円形の客席に、長い長い、虹を描く。
そう、僕らもまた、“虹を掴んだ”のだ。